2013年の終わりに

2013年が終わろうとしている。私は1月が誕生月だから、来年になったら、母が亡くなった歳と同い年になると、ずっと思って来た。だから、所感を記しておきたいと思っていた。ところが、先ほど、確認しようと思って、母の生年月日をもう忘れてしまったことに気づいた。大正の末なので、大正13年か14年だと思うのだが、定かではないし、気軽に尋ねることが出来る人も、身近にはいなくなってしまった。

 母が若くして亡くなったことは、その後の私の人生や物の考え方に、大きな影響を与えている。母が亡くなった時、私は24歳で、長女がおなかの中にいた。胎動が始まった頃、母に、ほら、動いているよ、と触って貰ったが、母には分からなかったようだ。結局、孫娘の顔を見ることなく、母は亡くなった。 

葬儀が終わってしばらくした頃、市役所へ行った。母は任意で国民年金(だったと思うが)に加入していて、その死亡一時見舞金を貰いに行ったのだ。その見舞い金は、たった10万円だったと記憶している。早死したら損だな、とその時思った。

 お産を実家に頼れないのは辛かったし、近所の人たちのように、ジジババにおもちゃとか買って貰えなかったのも悲しかったけど、まあ、そのことは置いておく。

 人生さあ、これから、という時に母が亡くなったのを見て、人生の楽しみや、自分のやりたいことは、後回しにしてはいけないと思った。貯金や我慢をしても、楽しみな老後は訪れないかもしれない。母は亡くなる10年前にも大きな手術をしていて、その後はずっと不調だった。また、私のいとこも、早くに亡くなっている。

そこから学んだことは、大きな病気をしたら、旅行なども思うに任せないということだ。お金や時間があっても、やりたいことが出来るとは限らない。

 私の場合、やりたいことは3つ。

1.論文を書く。「末はハカセか大臣か」と言うではないか。大臣になりたいとは思わないけど、こういう仕事をしている以上、博論は書きたいな。これが人生最後の悲願。(だったら本気でやれよ、と思うが、何を書くかが非常に難しい)←間違いだらけの人生。

2.海外旅行。これは実行中。老後の生活資金を貯める代わりに、あちこち行き歩いている。これはたぶん自分の視野を広げるため。見知らぬ土地に行くのが単純に面白い。

3.園芸。これは物心ついた頃からの趣味なので、生きる上で欠かすことが出来ない。温室かサンルームが欲しい。あと、日当たりのよい庭。でも、これは経済的に無理なので、ほぼ諦めた。今の家で育てられる範囲で我慢する、たぶん。

この3点以外のことは、特に執着がない。本は読みたいけど、読書は視力がある限りは、最後まで出来る楽しみではないかと思う。今は、老眼が急速に進んでいるので、読書も長時間は厳しいが。

 3つだけでも、けっこう欲張りだ。それに、2のおかげで、老後の生活資金が心配だ。子どもを沢山産んだので、何とかしてくれるよね、と事ある毎に言っているが、「いやいやいや・・・・」とか言われている。 

人生を計画的に生きようと思っても、肝心の寿命がいつまであるか分からない。そんな状態で、計画など立てられるわけがない。お楽しみを老後に取っておいても、長生きできる保証はどこにもない。ならば、今、やりたいことをするに限る。 

とりあえず、まじめに論文書きます。なぜ、何のために書くのかの答えは難しいが、半分は真理の探究、半分は、自分の生きた証だろうか。 

最後に。私ぐらいの歳になると、体力気力ともに辛いです。もっと若い時に、どうして全力で、本気で勉強しなかったんだ!